何時も笑顔の絶えない大らかな君。
何があっても挫けない、立ち上がることを知っている君。
そんな君が大好きで。とても愛しくて。
だから。
――笑って許す気は全く無いんだ。たとえ君に言われようと、ね。
「藤井」
放課後、部活に励んでいた充流の元へ、元クラスメイトの一条が訪れた。
「あれ?一条……に、剣崎君まで――何か用?」
にこやかに挨拶をした充流は、一条の隣にいる後輩の剣崎の顔を見て表情を変えた。
去年この後輩は、近年増加中のストーカーに会い、苦しめられた。
事件そのものは、充流や一条の介入で決着が着いた筈だが、困惑を露わにした剣崎を見た時、その件で何か起きたのかと思ったのだ。
「済みません、部活中……あの、山内先輩の事で、ちょっと」
「……伸吾?」
いきなり親友であり、恋人である彼のの名が出てきて、充流も困惑する。剣崎が伸吾に懐いて(少々、語弊があるかもしれないが)いる事は知っていたが、何故ここで伸吾の名が出るか、分からなかったのだ。
「はい」
「少し込み入った話になるから、部活が終わった後、剣崎の家に行ってくれるか?」
「それは構わないけど……今、ここでは話せないの?」
「ちょっとな……」
歯に者を着せぬ一条が、珍しく口ごもる。つまり、それだけ回りの人間には聞かせたくない話と言う訳で。
充流の中で嫌な予感が強くなる。
「――分かった。ちょっと待ってくれる?」
二人に断りを入れると、充流は、近くにいた後輩の下へすたすたと歩いて行く。
そして、二言三言話したかと思うと、そのまま戻ってきた。
「お待ち同様、行こう」
「え?あ、あの?」
「―― 断ってきたのか、藤井」
「うん、早い方がいいでしょう?一条がそんな言い方をするんだから――伸吾もこの頃、ちょっと変だったし……。あ、一条も一緒に行くの?」
充流の行動に少し慌てていた剣崎だが、この台詞には大きく頷いた。
「おい」
「お願いします。いて下さい」
「……仕方ないな」
剣崎の縋る目に、一条は、柔らかな笑顔で彼の頭を軽く撫でて了解した。
その仕草を見て、充流がにこっと笑う。
「ふーん、噂は本当だったんだ。やるね、一条」
「――人のことより、自分の方を気にしろ。余所見していると取られるぞ」
「う〜ん、否定出来ないなぁ。強力なライバルが一人残っているから」
「と、思うならもう少し人を使って時間を作れ。頼る事が悪いなんて誰一人言いはしない。寧ろ、一人で走られると後釜を見つける方が大変になる」
「先輩、言い過ぎです!」
なにやら合間に冷たい風の吹く二人を見て、剣崎はあわてて止めに入る。
「ああ、大丈夫。心配しないで剣崎君。別に喧嘩している訳じゃないから」
「分かっていますけど・・・目の前でやられれば心配になりますから。……僕のいない所でやって下さい」
きっぱり言い切ったその台詞に充流は噴出す。
「言うなぁ〜。うん、分かった。今後一条とのコミュニケーションは、剣崎君のいない所で取るようにするよ」
「そうして下さい」
「……剣崎、お前大物になるぞ」
「はい?」
充流に物怖じしない剣崎に、一条は苦笑交じりの忠告をした。忠告の意味が分かってない彼に、充流は笑顔で応じた。
「後継者、見つけた感じ」
「……本人の意思を確かめてからにしろ」
「う〜ん……どうしようかなぁ」
「あの〜先輩方、二人で会話を成立させるの、止めて下さい。っていうか、僕、余り聞きたくないんですけど……」
剣崎の困った表情に、充流は笑顔のまま答える。
「まぁ、考えておいてくれると嬉しいなぁ僕としては」
「はぁ……」
「そこで考えるな、剣崎」
「考えてませんってば!」
「いいなぁ、仲が良くて」
「――藤井、さっさと着替えて来い。校門前で待っているから」
「はーい」
ひらひらと手を振って部室に走る充流を見送って、二人は校門前へと歩き出した。
「それで?」
場所を剣崎の自宅へ移して。
充流に促されて、剣崎はぽつぽつと今日の出来事を話す。聞かされる内容に、充流の表情がゆっくりと変化していくのを見た一条は。
(これは駄目だな……切れるぞ)
思わずため息を零してしまった。
「――本当は藤井先輩には言わないって約束したんですけど……一条さんに相談したらその、言わないと後が怖いって」
「うん、正解。怖いよ?」
そう言ってにっこりと笑う充流。だが、その笑顔が怖い。
「――はい、怖いです。今も」
一条から聞いてはいたが、実際受けるとなると度合いが違う。思わず視線を逸らしてしまった。
「でも、ありがとう。お陰で伸吾の落ち込み理由が分かったよ。ふ〜ん……そうか、あの人がねぇ……」
「――藤井、止めても無駄だとは思うが一応言っておく」
「無駄だけど聞いておくよ、何?」
「手加減しろよ?」
「ああ、それはもちろん」
にっこり笑って答えた充流に、
(駄目だ、これは……)
一条と剣崎が深いため息を吐いたことは……仕方ないのかもしれない。
充流が一条達と密談している頃。
寮では伸吾が一人、ベッドに寝転がってため息をついていた。
(充流遅いな……また、あれかな?)
あれ、と思い出して、再びため息。
あの人の声が今も耳元で囁いている。
「『足手纏いになるなら離れろ』……か」
すぐ否定出来なかった。それが悔しいし、悲しい。確かに自分は周りの状況に疎すぎて、充流や他の面々を困らせている。その事は、自分が一番知っている。言われなくても。
「でも……」
去年の冬、寮に入って。
それから色々な事件が起きて。
少しずつ、親友に対する感情が変化して。
ようやく、わかった想いだから。
「――離れたくないんだよ……俺は」
ごめんな、と、伸吾の呟きが寂しい部屋におちた。
その翌朝。
「し〜んご!起きて!!」
「うわぁっ!!」
いきなり布団を剥がされ、耳元に大声で呼ばれた伸吾は、びっくりして飛び起きた。
「充流ぅ〜、何するんだよぉ〜」
見れば、ジャージ姿の充流が笑顔で立っている。
「何って……朝練に遅れるから起こしたに決まっているでしょ?昨日、付き合ってくれるって約束したじゃない。……もしかして、忘れた?」
起きたばかりの頭は働かず、伸吾は「そうだったか?おかしいなぁ?」と、散々、首を傾げながらジャージに着替えた。
鞄と着替えを持って部室に向かう。練習はもう始まっているらしく、部員の姿は見えなかった。
「やべ〜、ごめん。遅らせて」
「いいよ、早くやろう」
既に出してある高飛びのバーを調整して、跳ぶのを待つ。
「いくよー!」
「おうっ」
合図とともに、軽やかに跳ぶ姿にしばし見惚れる。
(羽が生えているみたいに跳ぶんだよなぁ……)
自分には出来ない事をやってのける相手に、嫉妬を感じるのは仕方ないことだ。
でも、と、伸吾は思う。
(充流は努力してここまで来た。単なる才能だけじゃなくて。それは賞賛すべきものじゃないのかな……)
充流だって伸吾の走る姿が好きだと言ってくれる。彼だって以前は走っていたから、きっと同じように嫉妬心もあっただろう。充流は何も言わないけれど。
「……だから、離れたくないんだよなぁ……」
一緒に歩めば大変でもきっと幸せな人生が送れる、そう信じられる相手だから。
「――何が離れたくないの?」
「うわっ!」
いきなり耳元で囁かれて、思わず耳を押さえてしまう。
「今朝から伸吾、そのリアクションばっかりだけど……?」
「い、今のは考え事していたからで、別に、何も」
顔を赤くしたまま、あたふたと焦って答える伸吾に
「ふ〜ん……」
(う、疑ってるよぉ〜)
充流はひとしきり伸吾を見つめた後、くるりと振り返ると監督の下へと走っていった。
「み、充流?」
取り残された伸吾は、二人が話している様子をぼんやりと見ていた。
「伸吾、上がろう」
「え?もういいのか?」
「うん、ちょっと集中力が欠けてるから。また怪我したくないしね」
「あ、ああ……」
怪我、と聞いて、伸吾の顔が歪む。
去年、バーを跳んでいた充流の怪我に立ち会った伸吾は、あの時の事を思うといつも苦しくなる。
側にいながら、何も出来なかった自分を思い出して、今の自分と重ねてしまうのだ。
今も……何も出来ない自分を。悔やむばかりで。
「行こう」
「うん……」
俯く伸吾を見て、充流は小さく舌打ちをした。
気まずい雰囲気の中、着替え終わった伸吾は、背中に感じる暖かさに顔を上げた。
「充流……?」
「そのままで聞いて。伸吾――白鐘さんに何を言われたの?」
白鐘、と、名を聞いて強張る体を強く抱きしめる。
「怒ってないから――ね?」
「……」
「し〜んご、僕ねぇ、今年からある事に関してだけ気が短いみたい。……知りたい?」
「うっ……」
充流が何を言おうとしているのか、何となく分かった伸吾は言葉を詰まらせる。
「う〜ん……伸吾、この頃察しが良くなってきたよね?僕が側にいるせいかな?」
「違うと思うぞ、それ。俺、相変わらず鈍いから――お前に迷惑かけてるし……」
「って、白鐘さんが言った訳?」
「違う……」
なかなか言おうとしない伸吾に、充流はため息を吐いた。
「仕方ないなぁ、もう……。あのね、伸吾。僕、昨日剣崎君に聞いたんだ。屋上での事」
「あ、あいつぅ〜!約束破ったのかよっ!」
「怒らないの。大体、何で他の男の前で泣くのかなぁ?」
「あ、あれは、その」
「その?」
「……ごめん」
伸吾の謝罪に、ため息が更に深くなる。
「だから、謝って欲しい訳じゃなくて、どうして泣いたのかその原因を知りたいだけ」
「――聞いたんなら、知っているだろう?」
「言われた言葉までは聞いてないよ。その部分は本人に聞くように言われたから」
「……言わないと駄目か?」
「駄目」
ふうっとため息を吐いて、自分を抱き締める手に手を重ねる。きゅっと握り締められて
伸吾は小さく笑みを浮かべた。
「足手纏いになるなら――離れろって……」
「……いう訳か……あの人らしいねぇ」
「実際、俺のせいで此処の所忙しかったし。俺がいなければ充流、もっとゆっくり休めたかな、とか、俺じゃなくて白鐘さんだったらきっと充流頼れたんだろうな、とか、色々考えちゃったら情けなくてつい、涙が出てさ。……でも離れたくないんだ。足手纏いになっても。だから……ごめん」
ぽつぽつと原因を述べると、抱き締める力が更に強くなった。
「あのねぇ、伸吾。僕は十分、伸吾に頼っているけど――気が付かなかった?」
「……俺、覚えないけど……?」
「うーん、そうなっちゃうか……。結構甘えさせてもらったんだけどなぁ……足んなかった?」
「甘え……ってっ!!」
何を指して言ったのか分かって伸吾の顔は真っ赤になった。
「ほら、やっぱり察しが良くなってる。――ネットワークの件で頼らないのは、僕にとって伸吾は帰る場所だからだよ。余計なしがらみ持ち帰りたくないから。だって、あと一年だよ?こんな厄介事に首を突っ込むのって。まぁOBだから、とかいって、こき使われそうな気はするんだけど、そんなの実際卒業して見なきゃ分からないし。伸吾、正義感ありすぎで、下手に首突っ込ませたら抜け出せそうにないし、ね」
「……なんか、酷い言われ方されている気がするの、俺の気のせいか?」
「事実でしょう?伸吾、それで何回、喧嘩した?」
「うっ……それを言われるとちょっと……」
「だから、こっちの件は一切無視してくれていいから。後継者を決めたらさっさと縁切るつもりだし。でも、伸吾との縁は切る気、ないから……って、伸吾?」
抱き締めている身体が細かく震えている。声を殺して泣く伸吾をそっと呼ぶ。
「……れ、いい、のかな……?お前と、一緒にいて……」
「もちろん。ようやく想いが叶ったのにどうして離れる必要があるの?僕の方からは絶対離さないから……覚悟してね?」
充流の台詞に伸吾は頷く。
「あのさ……充流」
「何?」
「その――白鐘さん、苛めるなよ?」
「……何それ?」
「いや、だって……うん、俺の勘違いだよな、うんっ、きっとそうだ」
ははは、と少し乾いた笑いをする伸吾に、そうだよ、と頷くが。
(本当に察しが良くなっちゃって……伸吾らしくなくてちょっと嫌かも)
などと、充流が考えていた事は、ばれなかった様だ。
そして――数日後。
一本の電話が高崎家に入った。
「はい、高崎ですが」
『高崎先輩ですか?藤井です』
「お〜、元気か?」
『はい。あの今日、時間ありますか?相談があるのですが』
「お前が、俺に?」
『はい』
「……いいぜ、うち来るか?」
『いえ、瞳先生の家に来て頂けますか?』
「――分かった。……うん、その時間なら大丈夫だ。ああ……後でな」
切れた電話をしばし眺めた後、受話器を置いた高崎は深いため息を吐く。
「だからよせって言ったのに……知らないからな、利広」
可愛い後輩の頼みだし、許容範囲の広すぎる恋人を少し脅かすのもいいか、と、高崎の表情は
これから行なうお仕置きを思って、とても楽しそうだった。
終わり