ここでは、自分にとって欠かすことのできない小田さんについて書いてみようと思います。


1.小田さんとの出会い

  小田さんとの出会い、それは小学校4年生のとき、当時所属していた園芸委員会で憧れていた先輩から、この曲すごくいいから聞いてみてよ、っていわれて渡されたカセットテープでした
  まだその当時はこの曲の持つスケールの大きさは理解できなかったけど、鳥肌が立つほど感動したことを昨日のことのようにはっきりと覚えています。
  小学生時代の僕は内向的であり、あまり友達もいなかったから、まず第一に勝手に憧れていた先輩がそんな僕を見かねて声をかけてくれたことがすごく嬉しかったし、そのテープに入っていた曲がすごくいい曲だったから、そしてその後知ることとなるその曲を作ったアーティストの魅力に僕はだんだんと惹かれていくようになりました。
  その曲の出だし、「多くの過ちを、僕もしたように、愛するこの国も戻れない、もう戻れない」というフレーズはすごく思想的に深いものがあるから、その当時の僕には理解できなかったけど、「一人、また一人、友は集まるだろう」というフレーズにすごく励まされたように思います。
  正直に言うと、このころ僕はイジメにあっていてすごく辛い日々を送っていたんだけど、生きていくことに希望を持つことができるようになれたし、先輩には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

2.突然の別れ

  それは中学校1年生の冬休み明けの日のことでした。僕にとってすごくショックな出来事が起きました。僕にオフコースというすごいグループを紹介してくれた、また僕が辛いときにいろいろと力になってくれた先輩が癌によりお亡くなりになったのです。しかも15歳という若さで。
  そのことを聞かされたとき、本当に辛くて、涙をこらえることができず号泣してしまったことを一回り以上たった今でも鮮明に覚えています。
  正直、一時は自分も後を追おうと思ったこともありました。でも、ちょうどその1ヵ月後に発売されたオフコースの曲にすごく励まされ、また生きていく希望ももらったような気がします。「そんなに自分を責めないで、過去はいつでも鮮やかなもの、死にたいくらい辛くても、都会の闇へ消えそうなときでも」「君住む街まで飛んでゆくよ、ひとりとおもわないで、いつでも」というフレーズ、本当に生きていく希望をもらいました。
  でも、その1年後にオフコースは解散してしまったのです・・・


3.ラブストーリーは突然に

  オフコースの解散後、高校受験とかもあって少し小田さんからは離れていたんですけど、高校1年の冬にフジテレビで放送された「東京ラブストーリー」の主題歌、「ラブストーリーは突然に」が大ヒットし、再び僕の小田さんへの想いは強くなりました。
  街を歩けばこの曲がいたるところで流れているほどヒットしたこの曲は、多くの人を虜にしたが、それは僕においても例外ではありませんでした。
  別に彼女がいるわけでもなかったのですが、いやいなかったから尚更鈴木保奈美さん演じる赤名リカにすごく憧れていました。リカの一途な想い、それを後押しする小田さんのこの曲、今でも僕の心の奥に印象強く残っています。
  「君があんまり素敵だから、ただ素直に好きと言えないで」そんな女の人に僕は大学生のときに出会いました。その人とは大学時代に所属していた英語会話研究会で知り合ったのですが、とにかく物事に一途に取り組み、人のことを誰よりも気遣い、そして常に周りの人を幸せにするような女の人だったから、自分には高嶺の花と、正直に自分の気持ちを伝えることができませんでした。
  あの時素直に自分の気持ちを伝えることができていたならば、また僕の人生は違った道を歩んでいたことでしょう。「僕の人生が二つに分かれてる。そのひとつがまっすぐに・・・」という曲があるんですけど、僕の人生をよくあらわしていると思います。
  それから一回りたとうとしている今でも、その人のことが忘れられずにいます。「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま」、まさにそんな心情です。



4.ルッキングバック

  僕が大学生だった1996年のこと、すごく嬉しいことがありました。それは、小田さんがオフコース時代の曲をセルフカバーしたアルバムが発売されたのです。小田さん自身は、そのときは一生懸命作ったんだけど、今当時を思い起こせばつたない部分が目立ち、それを修正できるうちに修正しておきたい、ということでセルフカバーを始めたと仰っていたけど、人によってはその当時の自分の想いとかあるから、正直受け入れられない人も多い、でも僕にとってはリアルで聞けなかったあの曲、この曲が今の小田さんによって聞くことができるようになったわけだし、すごく嬉しかったです。
  小田さんのこのセルフカバーのことをファンの間ではルッキングバックと呼んでいるが、最初はシングルのカップリングとして収録されていたが、溜まってきたから、アルバムになった、そして2001年には第2集が発売されるにいたったこともすごく嬉しいことでした。
  僕自身、次はどの曲がセルフカバーされるのかいつも楽しみでした。

  話は変わるけど、自分のしてきたことを振り返ってみると、やり直したいと思うことって結構あるけど、可能な限り修正できるものは修正して行こうと思います。


5.キラキラ

  このサイトの自分史のところにも書いたけど、僕の2つ目の試練となった信組の倒産、そのとき僕は自分の人生をどうしようかと本当に途方にくれていました。
  そんな時発売された小田さんの曲に僕はすごく励まされました。思い切って税理士試験の受験に専念するために、専門学校に通うか、それともフリーターでしばらく働き、自分の進むべき道を考えるか、本当に悩んでいました。当時の僕では転職先を探しても雇ってくれるところはないと思っていたし・・・
  「今だからできること、それを決して忘れないで、そのときその二人、ここへは戻れない」本当にパワーをもらいました。
  今思えば、このときの選択が正しかったのかどうかはわからないけど、もし今後税理士の勉強を続けていき、最終的に税理士になれたら、きっとこのときの選択は正しかったと思えるに違いない、だから何度試験に落ちたとしても、あきらめずに頑張ろうと思います。

 

6.そして今も・・・

 

  小田さんは僕が辛かったり苦しかったりしたときに、本当に多くの夢と希望、生きる力を僕にくれました。
  僕の今までの短い人生で、お世辞にも平凡な人生を歩んでいるとはいえないけど、それでも何とか生きていこう、今頑張らなければ後で絶対に公開することになる、そういう気持ちにさせてくれています。
  今、僕は何度目かの挫折を味わっています。それは、税理士試験で同じ科目を3回連続で落ちてしまったこと、それから苦労して転職した会社が資金繰りで困窮していること、など。でも、辛い先には必ず明るい未来が待っている、だから明るい未来を目指して頑張ろうと思います。
  小田さんも数々の辛いことを乗り越えてきたからこそ今の小田さんがいるわけだし、そんな小田さんを追いかけてきた僕は本当に幸せだと思います。そして、そんな素敵な小田さんを僕に紹介してくれた今は亡き先輩に本当に感謝しています。
  最後に・・・

 あなたに会えて、本当によかった
嬉しくて、嬉しくて、言葉にできない・・・

 


MY BEST 10 (オフコース)

1 生まれ来る子供たちのために
2 君住む街へ
3 YES−YES−YES
4 YES−NO
5 秋の気配
6 首輪のない犬
7 こころは気紛れ
8 老人のつぶやき
9 愛あるところへ
10 僕らがいた


MY BEST 10 (小田和正ソロ)


1 まっ白
2 キラキラ
3 ラブストーリーは突然に
4 MY HOME TOWN
5 goodtimes & badtimes
6 こんな日だったね
7 だからブルーにならないで
8 勝手に寂しくならないで
9 大好きな君に
10 そして今も


小田さんに是非ともLBして欲しい曲


1 YES−YES−YES
2 僕らがいた
3 愛あるところへ
4 still a long way to go
5 首輪のない犬