作品「己が非力を…」について

教室通信138号(平成19年3月)より

 字を書く作業は、自分との闘いです。ともすれ
ば、弱い自分が顔を出し、「できないかなあ…」という気持ちになってしまいます。そこで自らを奮い立たせ、筆を手に紙に立ち向かう、そんなことをずっと繰り返してきました。後には、反故(ほご)となった紙の山がのこるだけです。その自分の姿を、そのまま作品にしました。
 基となった古典は、張即之(ちょうそくし)の楷書です。直線的に、スパッとした切れ味を前面に押し出そうとしました。楷書で調和体はむずかしいので、行書としてとらえ、流れを失わないようにしました。でも、やはり硬かったです。1行めと、2行めの途中まではよかったですが、執の字での爆発がうまくできませんでした。文字どおり、自分の非力を見せつけられることとなりました。
 唯一の収穫(といえるかどうか)は、楷書に近いものを素材としたので、読みやすかったということです。原稿の段階で、私は教室の壁に作品を貼っておきます。すると、出入りする生徒の皆さんがみんな読んでいきます。その反応をみていて、あ、読めるんだなと感じることができます。
 読みやすいということは、それを目的とした書作品にとっては、重要なポイントだと思います。書く側は読めて当然として書いていますが、いつの間にか筆が勝手に進み始め、みてくださる方のことを忘れてしまってはいけません。意外と、そういうことが多いと思います。筆を執る者は、心したいところです。ば、弱い自分が顔を出し、「できないかなあ…」という気持ちになってしまいます。そこで自らを奮い立たせ、筆を手に紙に立ち向かう、そんなことをずっと繰り返してきました。後には、反故(ほご)となった紙の山がのこるだけです。その自分の姿を、そのまま作品にしました。
 基となった古典は、張即之(ちょうそくし)の楷書です。直線的に、スパッとした切れ味を前面に押し出そうとしました。楷書で調和体はむずかしいので、行書としてとらえ、流れを失わないようにしました。でも、やはり硬かったです。1行めと、2行めの途中まではよかったですが、執の字での爆発がうまくできませんでした。文字どおり、自分の非力を見せつけられることとなりました。
 唯一の収穫(といえるかどうか)は、楷書に近いものを素材としたので、読みやすかったということです。原稿の段階で、私は教室の壁に作品を貼っておきます。すると、出入りする生徒の皆さんがみんな読んでいきます。その反応をみていて、あ、読めるんだなと感じることができます。
 読みやすいということは、それを目的とした書作品にとっては、重要なポイントだと思います。書く側は読めて当然として書いていますが、いつの間にか筆が勝手に進み始め、みてくださる方のことを忘れてしまってはいけません。意外と、そういうことが多いと思います。筆を執る者は、心したいところです。

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