いい字を書くには、考え、工夫すること

教室通信207号(平成30年4月)より

 高翔書道教室には、幼児や小学校低学年の時から通っていて、もう成人になられる方々がいっぱいいることが特色ですね。10年、20年、30年選手がいると、私は教えていてとてもうれしいです。子供の時からのお付き合いですので、皆さんは私のやり方がわかりますし、私も皆さんの性格がわかって、やり取りが阿吽の呼吸になりますね。
 長いと、その間にいろいろな人生の山や谷に突き当たることになります。勉強のこと、部活・学校生活・友達のこと、受験、就職、仕事・家庭のことまで。「どうしたんだい?」と教室で生徒さんと話をしているうちに、これらの相談を受けるようになりました。それをご覧になっていた他の方から、「ここは何の教室ですか?」と聞かれる所以です。悩み事が少しでも解決しなくては、いい字が書けるはずはありません。
 私自身は、小さい頃から手を動かすのが好きで、書道は小学校3年生の時から6年生まで、青葉台団地の中にあるお習字塾に通っていました。桐蔭学園中学校に入学した時に、書道部の顧問でおられた弓納持太無先生との出逢いが人生の中で大きく、それ以来です。その中で、やはり勉強や受験のことは悩みで、自分なりに考え、工夫してやってきました。本来、書とそれらとは関係ないはずなのに、字がうまく書ければ全てが解決するんだというような単細胞で、無我夢中だったと思います。余計なことは考えずに、ただただ、いい字を書くにはどうしたらいいのかと、そればかり考えていたから、やってこられたのだと思っています。
 今の10代、20代の皆さんの顔を見ていると、私の世代とはずいぶん違うなと感じますね。世の中が混沌としてきて、努力したことが簡単には報われない時代になってきました。ちょっとの失敗は許され、それが将来役に立つのだという気長さもなくなり、そのうち人の仕事はAIにとって代わられるのじゃないかと心配しなければならなくなりました。これはきついですね。このような時代にあって、どうしたらいいのでしょうか。
 いい字を書くにはどうしたらいいか、それには「考え」なくてはなりません。ただ何となく書いていたのではだめであって、試行錯誤し、工夫しなければ。教室では、お手本をもらってから3枚書いて先生に見せに来ることにしていますが、その3枚の中で、あれこれ工夫していますか?例えば「大きく書きましょう」と言われたとして、どうしたら大きく書けるか、その方法は人によって違うはずです。字の最初の線を長く引いてみる、筆を多めにおろして太く書いてみる、文鎮や半紙の周りの道具をどけて場所を広くしてみる、など。
 人生においても同じことではないかと思います。考えてみることです。問題を解決するために、頭を使うことが苦手だったら、手足を使うことも考えるのと同じことです。考えることが唯一、人間の特権です。
 いい字を書くために、考え、工夫したことを他のことにも当てはめるのが、生きていく術になるのだ、とは言えないでしょうか。

「もどる」