理性と感性について

教室通信114号(平成15年2月)より

 今、私はパソコンでこの教室通信を作っています。つまり文字を「打ち込んで」います。「書いて」はいません。確かにきれいにできるから便利だと思う反面、何時間もやっているとどっと疲れてしまいます。筆でもえんぴつでも、何時間書いてもそんなことはないのに、なぜでしょうか。
 パソコンはデジタルですから、言わばマス目に文字をはめこんでいく作業で、パソコンの機能をいかに利用するかの頭を使った理性の仕事です。書くのはアナログですから、筆記具を次にどちらに進めるかは手の感覚による感性の仕事です。人間は理性と感性の二つを持ってはいますが、理性ばかりではおかしくなる、とは言えないでしょうか。
 急速なパソコンの普及によって、文字は書くものから打ち込むものへとなりつつあります。機能的にはいいかもしれません。ですが、そればかりになってしまっては、人間の感性が失われる気がしてなりません。これは大問題です。
 書以外でも、このようなことは起きているのではないでしょうか。例えば、映像の世界。白黒フィルムから、コンピューターグラフィックになって、自由に映像はつくれるようになったものの、印象的なシーンがなくなってきたような気がします。こういう像は難しいから、こういう工夫をして、ここを強調しようというような、職人芸の出番がなくなってきているのでは。
 コンピュータにだって感性は必要だよ、とその専門家は言われるでしょう。しかしながら、WEB(ホームページ)デザイナーと、画家とは、画面を相手にしながら、まるっきり違う仕事をしているように思えるのです。
 まっ白の紙の上に黒い墨を落としていく作業は、わかればわかるほど恐ろしいものです。何も頼りにならず、ただ自分だけを信じて筆を進めていく。そのときに、それまで培った技が自然とにじみ出ることが理想ですが、変なこだわりがあると、もうおかしくなります。「頭でなく、心で書け」とよく言われますが、なかなかできません。できたときの充実感は、何物にも代えがたいです。
 さて、理性が先行するようになっていく世の中にあって、書道教室としてはどうすべきでしょうか。少なくとも、考えてばかりの書にしないよう、お教えするつもりです。
 これからのIT時代、情報を見極め、自分の進む道を間違いなく見出していくのは、ほんとうにたいへんですよ。

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