■第6章 神聖なる祈り

「藤井先輩、今日調子悪そうですね」
「そう?そんな事ないけど」
「いいえ!気のせいなんかじゃありません!!」
僕はとぼけようとしたんだけど、どうやら石田と春原には通用しなかったらしい。
「一体どうなさったんですか?」
「ん、ちょっとね」
「………人それぞれ悩みとか、あると思いますが。だからといって上の空の人がこんな風に練習しているのは危険極まりません。今日はもう上がってください」
「石田!!」
慌てたように春原が制止しようとするが石田は発言を取り消したりしなかった。
「前みたいな光景は見たくないんです、俺は、俺達は」
なんともいいがたい沈黙が僕達を覆い尽くしそのまま時は、流れた。



結局他の部員達も今日は上がった方が良いと勧めるので帰ることにした。
ホントは何かしていた方が気が紛れて良かったんだけど……
さりとて石田の言う事には一理も二理もあり、他の部員達も帰る事を勧めて来たので駄々をこねて練習を続ける事は出来なかった。
「はぁ、仕方ないから瞳先生の所でお茶でも……って、あぁ!!」
ヤバイまだ、課題が終わっていないんだった。
結局あの後夏野と一条の言葉が頭の中を駆け巡っていて課題が手につかなくて……
………提出日、明日だよ。仕方ないなぁ。
僕は保健室に向けつつあった足を自分の教室に方向転換した。



し、んご………?
教室に入るべく扉に手を掛けた僕は思わず息を止めてしまった。
伸吾以外誰もいない教室、柔らかな光が窓から差し込んでくる空間。
その教室の真ん中で、伸吾はそっと自分の両手を捧げ口付けていた。
まるでそれは神聖なる、祈り。
愛しげに、何かに耐えるように、眉宇を顰めて………
彼の仕草、表情、全てが僕の心に刻まれていく。
それは、自分の思いを浄化しようとする、殉教者の様で。



抱きしめたかった、僕のこの手に。
彼の指も瞳も髪の毛一筋すらも、誰にも触れさせたくは、なかった。
いっそこのまま彼の全てを奪い去れば、僕達には今とは違う未来が待っているのだろうか?
僕は思わず強く扉を握り締めた。ガリッ、と爪を立ててしまった音が周囲に響いた。



ビクッ
「誰だ……?」
大きく身を震わせた伸吾は、音がした方向を振り返って、僕を発見した。
「充流…………」
驚愕に目を見開いた伸吾から視線を外しながら教室の中に入る。
机の中を漁ると直ぐに課題のノートが発見できた。
「忘れ物」
ノートを伸吾に見えるようにかざし、何でもないように、笑った。
何も見てないように…………



案の定伸吾は、ホッとしたように話し掛けてきた。
「充流が忘れ物なんて珍しいな」
「伸吾とは違うもん」
「み〜つ〜る〜」
伸吾が僕の首にホールドを掛けてきて、ドキリとした。
間近に伸吾を感じた所為、って事もあるけど……
伸吾、痩せた?
以前より多少痩せたような気がしてはいたんだけど、でもこれは………



「充流?」
不安げな伸吾の声。いけない。
「伸吾、ギブギブ。もう言わないから」
「ホントか?」
「ホントにホント。もう言わない」
「声に誠意が感じられない」



そんな風に久し振りにじゃれ合いながらも、僕の心は晴れなかった。
まるであの二人の、夏野や一条が言っていた事が現実になる様で。
不安で僕の心臓は張り裂けそうだった………




2003.09.14
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