■第8章 絶たれた望み

保健室に到着すると既に瞳先生はドアの鍵を開けて僕らを待ち構えていた。
「充流さん、此方のベッドに山内君を寝せてください」
瞳先生の指し示すベッドに伸吾を寝せると、先生は早速伸吾の様子を確かめ始めた。
「………寝不足から来る体調不良でしょう」
やっぱりそうか……僕も何度か似たような感じになった事があったから………
「でも、多分それだけでは無いと思いますよ」



「え………?」
「瞳、どういう事だ」
「一番の原因は彼の心の中、でしょうね」
「心の中?」
「好きな人を思って夜は眠れず、食も細くなる……というヤツですよ」



絶句する白鐘さんと高崎さん。
「それってさぁ、もしかして俗に言う『恋煩い』ってヤツ?」
「その強力版でしょうね」
「信じられないな………俺にだって愛しい人を思って眠れない夜が無い訳ではないが」
そこで一旦言葉を区切って、ちらりと高崎さんに視線を送った後白鐘さんは言葉を繋いだ。
「そんな自滅を促すような人の愛し方など、俺には到底理解できない」
確かに白鐘さんのようなタイプの人には、そんな自分の全てを捧げるような、人の愛し方は理解できないかも
知れない。だけど………



「別に誰かに理解してもらおうなんて、思ってない」
伸吾………?!!
僕が慌ててベッドの方を振り向くと、身体を起こした伸吾が、怒りに燃えた目で白鐘さんを見据えていた。
「俺が誰をどんな風に思おうと、それを誰かに非難される覚えは無い。たとえそれが俺が好きになった相手だと
しても、だ」
視線だけで人を殺す事が出来るなら、間違いなく白鐘さんは死んでいたに違いない。
それほどに強い視線だった。
けれど白鐘さんは気にした風も無くサラリと視線を受け流し、逆に伸吾を見つめ返した。
「お前が自滅する事で、誰かが泣く事になっても、か?」
「…………そうだ」



その言葉を聞いた瞬間、僕は精神が地の底に叩きつけられる様な感覚を味わった。
別に伸吾は、それが誰だか特定して、返事をしている訳ではないだろう。
だけど………



たとえば、僕と伸吾が好きになった相手、どちらかを選ばなければならない時。
確実に彼は、僕ではない誰かを選ぶのだ。
分かりきった事なのに、今まで散々に味わっていた事実であるというのに、僕はこの上ない絶望を味わっていた。
伸吾の口から直接にその事実を突きつけられたからか……
僕は未だ、どこかで一縷の望みはないかと思っていたのだ。



「充流さん………」
耳元にそっと僕を気遣う瞳先生の声が聞こえたけど。
手足から血の気さえ引くような感覚の中に居る僕は、まるで固まってしまったように動く事が出来なかった。
「………ご迷惑をお掛けしました。」
そう言って伸吾が保健室から立ち去るのさえ、呆然と眺める事しか出来ない………



「吃驚したな、山内があんな風に誰かを睨むなんて………」
高崎さんのそんな台詞にも相槌を打つ事すら、今の僕には億劫だった。
「スイマセン、僕もこれで………」
のろのろとした動作で鞄を手に持ち保健室を後にする。
誰かが僕を引き止める声がしたけど、それを確かめる事なく保健室から離れた。



重い足を引きずり下駄箱にたどり着くと、誰かがうずくまっていた。
最初僕はそのままその人物の前を通り過ぎようとしたんだけど………
「伸吾………?」
それは先ほど、保健室から出て行ったばかりの伸吾だった。
「どうしたの?!また、具合が悪くなったの?!!」
そう言って伸吾に駆け寄り、様子を確かめようとした。
けれど………



「触るな!!」
パシリと手を叩かれて呆然と伸吾を見やった僕は、彼の頬に行く筋かの涙の跡を認めた。
「お願いだから、放って置いてくれっ」
半ば悲鳴のような声で僕を拒絶した伸吾は、そのまま校舎の外へと消えていった。
伸吾が叩いた僕の手が痛い。



僕は汚い。
伸吾の幸せを望んでいる筈なのに、不幸になって欲しくないと思っているのに。
僕以外の誰かを選ぶなら、いっそ壊れてしまえと思っている自分が心のどこかに住んでいる。
あまりの自分の思考の汚さに、僕は吐き気さえ覚えた。




2003.09.28
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