■第10章 昇華される思い

僕は発狂したように伸吾に駆け寄り、彼の身体を揺さぶり続けた。
周りの人間の静止の声すら、僕には届かなかった。
何故、どうして伸吾が?!!
「伸吾!目を開けて?!」
「いい加減にしろ!!」
パシリ、と僕の頬が音を立てる。
………白鐘、さん?
呆然と彼を見やると、白鐘さんはそっと息を吐き出して、周りへ指示を始めた。



「原因が分かったぞ」
パタン、と病院の控え室のドアを閉め高崎さんが入ってきた。
あの時の事は、思い出したくない……
けれど、どうして伸吾が3階から飛び降りるような真似をしたのか、確かめないといけない。
奇跡的に伸吾は、打ち身と擦り傷だけで事なきを得た。
「3階から落ちてこれで済むなんて、幸運以外の何ものでもないよ」と環先生は言っていた。
本当にそうだと思う。
僕はあの時、伸吾を永遠に喪うのかと思った。
自らの魂の喪失を覚悟した。
だけど………



「それで原因は一体何だったのです?」
「瞳先生、この前の山内に言い寄っていたヤツのこと、覚えている?」
………A組のバスケ部主将?
「あいつが山内を無理やり、その、」
何となく高崎先輩の言いたい事が分かった。
瞬間、真っ黒な感情が僕を支配する。
只では置かない。そんな決意じみた思いを胸に抱きながら僕は高崎さんに先を促した。
「それで伸吾は、そいつの手から逃れるために3階から飛び降りたんですね?」
一応尋ねる形を取っているけど、これは僕の確信だった。



伸吾は自分が愛する対象に全てを捧げきっている。
きっと髪の毛一筋すらも、邪な思いに駆られた人間には触れる事は許されない。
それは潔癖なまでの伸吾の愛の形なのだ。
「………それほどまでに愛せる対象と巡り会えたのは、もしかしたらとてつもない幸運なのかも知れませんね。」
瞳先生が感慨深げに呟く。
確かにそうだと、僕も思う。



不思議だ、と思う。
ホンの少し前まで、それは僕に苦痛しか与えない事実だった。
伸吾の好きな相手に嫉妬し、ともすれば憎悪感すら抱いた事があったというのに。
伸吾が誰が好きだとか、そんな事よりも………
今、君が生きて息をして、存在してくれているのが、こんなにも愛しい。
たとえばこれから先、君が思いを叶えて、僕から離れて行ったとしても、君が生きている、それこそが、僕という
人間を生かす力となる。



時折は胸が痛むかも知れない、だけど……
君が誰かを愛したように、僕も君を愛した。
君が相手の幸福を願ったのと同じ様に、僕も君の幸せを信じたい。
君という人に出会い、愛したという事実、きっとそれが僕の幸福。
幾度も落ちかけた精神がたどり着いた、先。



コンコン、とノックの音が響いて看護士さんが顔を見せた。
「患者さん、目を覚まされましたよ」
はっとして、僕は瞳先生を見た。
「行ってらっしゃい、充流さん」
そう言って、瞳先生が僕を促そうとしたんだけど……
「いえ、患者さんが自分で此方に来ると言って」
「え?!!」
看護士さんが立っているドアの方に顔を巡らせると、伸吾が立っていた。
「スイマセン………」
そう言って看護士さんに礼を言うと、伸吾が室内に入ってきた。



「ゴメンな充流、心配、掛けて……」
微苦笑を浮かべて僕に語りかけてくる伸吾。
その顔を見ていたら、僕は今まで抑えていた気持ちが溢れ出すのが、止められなかったんだ。
「伸吾!!」
力の限りに伸吾を抱きしめる、僕の耳元に伸吾の息を飲み込んだ音が聞こえた。
ゴメン伸吾、もう僕は、我慢が出来ないんだ。気持ちを抑える事が出来ないんだ。
君の幸福を祈る気持ちに違いは無いけど……
君を愛しすぎて溢れ出るこの気持ちを、閉じ込めて置く事が出来ないんだよ。



「好きだ、君が好きなんだ」
僕が自分の思いの全てを言の葉に乗せて吐き出した時、伸吾の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
それを見たとき、僕は後戻りの出来ない覚悟をした。




2003.10.12
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