■report
奄美大島 − 2004夏 (3/6)
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二日目。 この日は昼前に出かけて奄美パークへ行く事にしました。 奄美には何度も来てますがここには毎回行ってます、なぜならクイーンの一族はここが大好きだからです(汗)。 でも良いとこですよ、本当に。
左上の円盤みたいなのが奄美パーク。 クイーン曰く、「わたしが地球まで乗って来た宇宙船」 だそうですが‥‥ここはまだ出来て3年しか経ってないんだよな、おっかしーなー。
それはさておきここから見える風景も良いですよ。 遠くには毎度毎度の水平線が見えるんですけど、奄美パークの敷地内はかなり手入れがゆき届いてて。 それも含めて視界に入って見える水平線はさらにステキです。 あと、出かけた時は少し曇りがちでしたけど30分したらすぐにこんな天気。 島の天気はころころ変わるんですな、これが。 でちょうどお昼になったので奄美パーク内でお昼ご飯(また食い物画像か!)
左は "島膳" 。内容は上段左から、白飯 / 豚骨 / ゴーヤ味噌和え。 中段右にお刺身、下段左からもずく酢 / パパイヤ漬け / 小エビ入り味噌汁。 真ん中の画像は毎度毎度の鶏飯で右は完成図。なんか毎回食ってるもの同じ気がしてきましたか? 気のせいです。で、食後にパーク内の田中一村記念美術館へ。
田中一村のプロフィールはこんな感じ。 「明治41年(1908年)、栃木県に生まれる。 18歳の時には、東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科に入学するが、 将来を嘱望されながらも退学、病気や生活苦の中で中央画壇とは一線を画し、清貧の中で画業に励みました。 昭和33年、50歳の時に南の島々をスケッチ旅行する。奄美大島の自然に魅せられ、移り住むようになった。 大島紬の工場で働きながら衣食住を切り詰め、不遇とも言える生活の中で奄美を描き続け、昭和52年(1977年)、 69歳でその生涯を終えた。」 (from 奄美パーク) この美術館内は撮影禁止なので画像無しですが、特に晩年の画は素晴らしいです!半端じゃなく素晴らしいと自分は思ってます。 NHK教育の日曜美術館とかでたまーにやったりする時あるので機会があったら是非。 もちろん奄美へ来た際はこちらへもどうぞ。
15時30分くらいに奄美パークを後にしてお墓参り、その足で蒲生崎展望公園へ。
展望が良いだけに空の広さと雲の質の違いがよくわかりますね。 左側は青空、真ん中辺りの暗いところは雨降ってて右側は単なる曇り空。 30分くらいで曇ったり晴れたりスコールの様な雨が降ったりで。やっぱ南国だ。 帰り道、大相撲名古屋場所で朝青龍が4連覇したのをラジオで聞きながら家に到着。
家の外でだらりんとしてるネコを観察しながらしばらくして晩御飯。
上はゴーヤチャンプル。中段左から、もずくの天ぷら、めかぶ、豚骨と野菜の煮物。 下段左から、ご飯、欠かさず食べてる鶏飯の具、ほた(地魚)の焼き物。 鶏飯の具があるということは当然ご飯に具を乗せて鳥汁をかけます。 誰ですか?また似たようなメニューだと言う人は。
で、この日も星を見に22時ごろ家の外に出てみましたが、ん?? 見えない、曇りか??と思ったのですけど、しばらく空見てたら見えてくるんですよ、昨日の星空が。 つまりこの日、明るい家の中に居て外に出たから暗闇の中の星にすぐに目が対応できなかったんです。 なんかびっくりだ。ということで外でしばらくクイーンと一緒に夜空を見てました。 傍から見ると夜遅くにつっ立って顔を真上に上げぼーっとしてる大人が二人。 あと一歩で通報されてたかもしれません。
続く。